不登校を抜け出したい子供のために親ができる「見守る」とは?

不登校を抜け出したいと頑張っている子供の姿を見ているだけなのは親としてつらいこともあるでしょう。

では、実際に親のできる「見守る」とはどんなことなのでしょうか。

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ある日突然体調不良となり結果的に不登校に

不登校といえば、子供が学校に行きたくないと言い出して始まるものだと思っている人も多いかもしれませんが、そうでない場合もあるとされています。

子供が直接学校に行きたくないと言わなかったとしても、学校に行くことがストレスとなり結果的に不登校となってしまうケースも多々あるとされているのをご存知でしょうか。

たとえば、前日の夜までは元気に過ごしていたのに学校に行く時間となると頭痛がすると言い出し、それでも無理に行かせようとすると嘔吐するなど、自分の気持ちをうまく言葉で表現できない場合には体調不良として出てくることもあるのです。

そういった子供は、本当は学校に行きたいのに体が反応して行けなくなっているため、本当につらいでしょう。

また、親としてできることも見守ることだけであるため、実は非常に苦しいものだとされています。

「見守る」だけは、実は苦しい

不登校となった場合、「私がなんとかしなければ!」と躍起になって動きたくなってしまう親の気持ちは本当に痛いほどよくわかります。

このまま学校生活に馴染めずに不登校となるだけでなく、この先社会に出た時にも同じようになってしまうのではないか。弱い精神のまま成長してしまうのではないかと親自身も不安になり子供に何とか不登校から抜け出してほしいと考えて動きたくなるものです。

ただ、親よりさらに苦しんでいるのは当事者である本人です。

苦しんでいるわが子のために、あれやこれやわちゃわちゃしたいところですが子供の気持ちを考えるとそれをやるとかえって逆効果になることもあるので注意が必要と言えます。

なぜなら、余りに親が過剰に動きすぎることで親にも家族にも心を開けなくなり自分の殻に完全に閉じこもってしまうこともあるからです。

子供が苦しんでいる姿を何もできずにただ見守るというのはつらいことですが、子供のためにここはぐっと我慢して子供がどう行動するか見守ってみましょう。

「見守る」と「放置」は違う?

見守ると一口に言っても、実は難しいものですが、ここで言うのはただ放置することとは別物だということです。

共働きで両親とも忙しい場合、子供が不登校となって最初のうちは慌てていても、すぐに復帰できないことが分かると仕事に行かなければならないためつい放置してしまいがちですが、それはただ放置であり見守ることとは違います。

子供の自主性を尊重することはとても大切ですが、だからと言って完全に放置してしまうことと見守ることは全く異なることです。

もちろん、家庭のこと以外に仕事があるのですからじっくりと子供と何時間も向き合うことは難しいかもしれません。

しかし、一緒にいられる時間は子供としっかりとコミュニケーションを交わしてこの先どうして行きたいのかを子供主体でありながら親も一緒に考えていくことが大切だと言えます。

人生の岐路に立った子供を、応援したくない親なんていないでしょう。

子供がこの先一人でも頑張れるようになるためにも、親はしっかりとサポートしつつ見守っていくことが何より大事だと言えるのです。

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