「不登校って昔はあったの?」と疑問に思われる方も多いかと思います。
実際のところ、特に不登校がクローズアップされる直前の80年代は、どのようなものだったのでしょうか?
ここでは80年代とそれ以前の不登校について、解説していきます。
過去にも不登校の割合が高い時期はあった
文部科学省の学校基本調査によると、全児童生徒数に対する、年間50日以上の長期欠席児童生徒数の割合は、1998年では中学生3.5%、小学生0.5%でした。
これは、1952年からの調査の中でも高水準の数値です。
ところが、過去にもこれと同じ高水準の時期がありました。
調査開始された1952年は、小学校では1.5%、中学校も3.5%を上回り、ともに1998年よりも高い数値を出しています。
この当時の不登校は、学校が後々の「行かなければならないもの」という認識がまだ浸透していない点や、終戦後まもなくということもあり、生活が厳しくて学校どころではないという家庭も多かった点が、現在との違いです。
それが時代とともにどのように変化したのか、次に解説していきます。
低水準の70年代から増加の80年代へ
その後、高度経済成長期とリンクするかのように、不登校の児童生徒数は激減して、1970年代には低水準の割合で安定していきます。
ところが1980年代に入ると、不登校の割合は再び増加の傾向を示します。
小学校では0.5%で横ばいの状態ですが、中学校では70年代後半まで1%未満だったものが、80年代後半になると1.5%まで増加していきます。
この80年代は、校内暴力や非行が問題となった時期であり、いじめもかなり凄惨なものでした。
この当時の親は「学校は行かなければならないもの」という認識が大半で、児童や生徒たちは、たとえ学校に馴染めなくても、たとえ酷いいじめを受けても、歯を食いしばって学校に通っていました。
その一方で、学校に病気や怪我などではない理由で長期欠席する児童や生徒が現れはじめました。
当時は「不登校」という言葉はまだなく、世間やマスコミでは「登校拒否」と呼んでいました。
その80年代当時の登校拒否は、現在の不登校のような様々な理由のほか、非行が原因のものも見られ、しばらく学校に顔を出さない不良生徒も中にはおり、珍しく学校に顔を出してきたと思ったら、早速廊下で暴れ出したなどということもありました。
まとめ
1950年代まで高水準だった不登校の割合は、高度経済成長期とともに激減して、70年代には低水準になります。
1980年代における学校の荒廃とともに再び増加して、90年代に入り激増します。
激増の原因は、統計方法や、児童や生徒の評価基準の変更によるものも考えられますが、様々な原因が絡み合っており、一概にこれだと言うものは分かっておりません。